生きるということ
母の入院から、死生観と向き合っています
何が正しくて何が正解なのかは自分次第だという事
医師を信頼していますが
多くの患者の一人、臨床のひとつとしてみているのだろうと痛感しました
6年前になりますが父も癌で他界しています
父は、民間治療を選択し何度か他県に足を運び血液の入れ替えを行いました
しかし、効果がないばかりかその施術中、記憶がなくなる・人格が変わるなど
付き添った母はとても生きた心地がしない体験ばかりでした
その後転移したため、放射線治療とイレッサを使用
あっという間でした
父も投薬は全て処方してもらっていたにも関わらず服用はしていません
痛みが激しくなる一方の治療は必要なかったと後悔をしていました
何を選択して
どう生きていくのか
今の選択が今後の自分の生き方を決める
全て自分がどう生きたいか
普段から明確にしておかなければいけない
私はまだまだはっきりしていない
「人は口から食べられなくなったとき、人としての寿命なのよ」
もしママが食べられなくなったら、
胃ろうで延命治療はしないでほしい、明確な事だけを子供達に伝えたら
子供達は困惑していました
ですよね、子供達が責められるかもしれないから怖いよね
日頃の生活の中で、昔のように人が家で死ぬということは遠い世界におもえます
私の祖母も父も自宅で母が看取りました
自宅での看護は大変そうだった母の疲れた顔を覚えています
先日も幼少期お世話になった同級生の祖母が101歳の寿命を全うされました
女医の孫が看取り、自宅で眠るようになくなったそうです
偶然その日は実家に行っていてお礼を伝える事が出来たことは本当に「呼ばれたんだ」と実感しています。
孫や息子夫婦、ひ孫に囲まれて自宅で息を引き取れた彼女は、今どきは珍しいケースです。
人の死は人を優しくしてくれて、生きるという大切な事を学んでいる
死があってこそ、生きていける
どう生きていくのか
人の為ってなんだろう
人の為に生きて社会に貢献していける人になりたいなって
思うばかりで未だとどまっている私
どんなことをすればいいんだろうな
あぁ・・・・もっぱらの私の課題です
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